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ナチスを支えたアメリカ巨大企業①「スタンダードオイル 」

更新日:11月21日

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1939年9月1日、ドイツはポーランドに侵攻しわずか1か月でほぼ一方的な勝利をおさめました。そして1940年5月10日にはフランスに侵攻し、わずか40日足らずでフランスを降伏させ、イギリス軍を壊滅させました。

更に1941年6月22日には、超大国ソ連へ侵攻を開始し、同年12月11日には日米開戦に呼応する形で、アメリカに宣戦布告しました。

第二次世界大戦下のドイツは、人口七千万人、世界第三位の工業国であり、第一次世界大戦の敗戦により制限されていた軍備も、1935年のナチス・ドイツによるヴェルサイユ条約破棄によって拡張されてはいましたが、イギリスとフランス、そしてソ連やアメリカを相手に、一時は優勢に戦うほどの軍事力を一体どうやってほぼ一国で賄っていたのでしょうか?

実はそこには、第三の枢軸同盟ともいうべき存在がいました。

それは、ナチス・ドイツに協力したアメリカの巨大企業、「アメリカン・アクシズ」企業たちでした。

のちに、彼らの存在なくしては、ナチスの戦争遂行は不可能であったといわしめた、第三の枢軸同盟「アメリカン・アクシズ」企業とは、いったいどのようなものであったのでしょう?

 

第1回目の今回は、有名なロックフェラー財閥の台頭の起源となった石油会社、「スタンダード・オイル」についてお話ししようと思います。

 

スタンダード・オイルは、世界的な大財閥「ロックフェラー財団」の創始者、

ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニアが、1870年オハイオ州クリーブランドに創設しました。

1911年に反トラスト法により解体され、その名は消えてしまいましたが、現代でも、世界の六大石油スーパーメジャー「エクソン・モービル」「シェブロン」として存在しています。

スタンダード・オイルは、石油の採掘ではなく、採掘された石油を大量に集め、大規模卸売業を営むことで、瞬く間に石油業界を席巻しました。

当時、ライバル会社に対し妨害工作や敵対的買収を行う強引な手法で、多くの批判を浴びることもなりましたが、現代の「石油先物取引市場」の原型を作り、燃料以外にも、自動車や航空機関連の化学製品の開発と生産も手がけ、同時期に勃興したモータリゼーションとの相乗効果で、巨大企業へと躍進し、ロックフェラー一族を世界最大の財閥にまで成長させました。

そんなスタンダード・オイルも、19世紀ごろになると、ロイヤルダッチやシェル、ドイツ銀行・ノーベルインダストリー・ロスチャイルド三者の巨大石油カルテル「ヨーロッパ石油同盟」といった強力なライバルが出現し、苛烈な挑戦を受けることになりました。そしてそのうち、アジア・中東・ロシアなどからの安価な石油に抗しきれなくなって、20世紀初頭には劣勢が鮮明となっていきました。

それに追い打ちをかけるように、1911年の反トラスト法の適用により、アメリカ国内のシェア争いにおいて大きく後退し、劣勢となった海外市場への依存をますます進めざるを得ない状況に陥ってしまいました。

そこでスタンダード・オイルは、当時、第一次世界大戦の戦勝国への賠償支払いを目的とした、ドイツ経済の復興政策「ドーズ案」による、対独積極投資により活況となっていたドイツ市場へ目を付け、そこに乗り出す形でドイツ企業へと接近していくことになりました。

そして1930年台に入り、ナチスがドイツの政権を掌握するようになると、ナチスと手を結ぶようになっていったのです。

 

スタンダード・オイルとナチスが「親密に」結びついていった背景には、当然、ナチスの戦争遂行に欠くことのできない「石油」の取引があったからと考えるかもしれませんが、実は、スタンダード・オイルにとって、ナチスとの石油の取引は確かに重要なものではあっても、スタンダード・オイル全体の石油取引におけるごく一部に過ぎなかったのです。

また、ナチスに無償でリースしていた、海外に所有していた唯一の油田であった、ルーマニアの油田も、スタンダード・オイルが扱っていた石油総生産量の3.1%ほどであり、しかもコスト高とルーマニア政府の外資規制によってあまりうまくいっていなかったので、その利権をナチス・ドイツに渡しても、ほとんど損害はなかったのです。

 

ではいったい、ナチスとスタンダード・オイルの関係がなぜ重大な関係であり親密なパートナーであったといえるのか?その一番の理由にあげられるのが、IGファルベン社との提携であったと言えます。

 

IGファルベン社とは1925年12月にドイツの6大化学工業会社が連合して生まれた世界最大の化学工業会社であり、設立から1939年までにドイツの外貨の90%、輸入高の95%を稼ぎ出し「国家の中の国家」という異名を持っていました。

ナチスとの関係は、IGフェルベン社が生産し世界に販売していた、バターなどの色素に使われたメチルイエローという着色料の生産過程において、多くの従業員から癌が発生し、調査の結果メチルイエローには多量の発ガン成分が含まれていたことが発覚し、議会においてこの問題が取り上げられそうになったところを、ナチスにもみ消しを依頼したという経緯から始まりました。

そして、第二次世界大戦においてのIGファルベン社が果たした役割も極めて大きく、ナチスの「4カ年計画」に基づいた、合成ゴム、プラスチック、火薬および爆発物、人造ガソリンなどの軍需製品及び工業製品の85%を製造していました。

さらには、ユダヤ人の虐殺に使用された毒ガス「ツィクロンB」を生産していたのも、このIGファルベン社でした。

第二次世界大戦後、IGファルベン社の調査を行なったアメリカ陸軍省は、「IGファルベン社の生産と研究開発の能力、そして海外展開と海外企業との提携がなければ、ナチス・ドイツによる戦争遂行は不可能であった」と結論づけ、ヒトラーの「最も重要な財産」とまで呼ばれました。

 

その「国家の中の国家」IGファルベン社とスタンダード・オイルの関係はどのように構築されたのか。

1926年、スタンダード・オイルは、IGファルベン社の工場を見学した際、「ベルギウス法」という、ノーベル化学賞受賞者フリードリッヒ・ベルギウスによって開発された水素添加法によって、石炭から軽油・ハイオクガソリンを作り出す技術を実用化し稼働させ、さらに水素添加法によって重油をガソリンに変え、原油を100%近くガソリンやその他の石油製品に変換することを可能にしている様子を目の当たりにしました。この石油業界に絶大な脅威を及ぼしかねない技術に対し、スタンダード・オイルはこれを脅威とみなすのではなく、IGファルベン社と手を組み、巨額の資金を提供することを条件に、水素添加法という画期的な原油精製技術の独占的使用権を取得することで、世界の石油業界の頂点に君臨するための一大プロジェクトにしようと考えました。この構想は、第一次世界大戦の敗北により世界市場の大半を失い、新たな資金源を渇望していたIGファルベン社にとっても魅力的なものであり、思惑が一致した両社は、のちに世界の石油・化学工業界において「結婚」とまで呼ばれた、深い相互協力関係が始まることになりました。

この背景には、IGファルベン社設立に際し、三千万ドルの社債発行を引き受けた、アメリカのナショナル・シティ銀行の存在がありました。この銀行は、スタンダード・オイルを産んだロックフェラー家の銀行でした。

 

ところがこの提携の内容をよく見てみると、IGファルベン社が圧倒的に優位な内容であったことに気がつきます。世界の石油・化学製品分野をスタンダード・オイルとIGファルベンで2分し独占しようという協定、詳しく述べると、スタンダード・オイルが石油・天然ガス生産事業の過半数を握り、IGファルベンが化学製品過半数を握るという協定だったのですが、その中で「これはIGファルベンが扱う化学製品だ」と認定する権限はほとんどIGファルベン自身が握っている状態となっていました。また、両社は互いの技術や実験データを共有するという協定も結んでいましたが、IG ファルベンは新技術を開発してもそれらを秘匿しスタンダード・オイルに提供せず、逆にスタンダード・オイルはその全てをIGファルベンに提供せざるを得ない状態になっていました。

ではなぜ、スタンダード・オイルはこのような状況を甘んじて受け入れていたのでしょう?それは、スタンダード・オイルの苦境によるものでした。先ほど述べた通り20 世紀初頭から次々と現れたライバル会社らとの競争において、徐々に劣勢となっていました。

近年、日本においてもその傾向が現れるようになってきましたが、当時からアメリカでは、資本家つまり株主自身が経営者といった形ではなく、才覚ある経営のプロが経営者となって、資金の運用を含め全てを託され経営を行なうスタイルが確立されていました。経営者は、自社の価値を高め、株価を上げ、高額の配当金を配当することが評価基準となっていました。その評価にさらされた経営者は、大資本家はもとより、20 世紀初頭のアメリカにおける、未曾有の好景気により出現した大勢の一般投資家たちの利益を生み出し、維持することが使命となっていました。

劣勢に立たされていたスタンダード・オイル経営陣は、その劣勢を覆し、彼ら自身資本家からの評価を得るために、あえて不利な条件であったにも拘らず、ナチス・ドイツとIGファルベンとの危険な関係を深めていったのでした。

 
 
 

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